2014年度7月度 那須農場復興支援労働のご報告

2014年度7月度 那須農場復興支援労働のご報告

<報告1>
7月26日(土)~27日(日)に那須農場で行われました本部委員会と復興支援労働に参加してきました。26日は本部委員会、池掃除、池周辺の草刈り、その後のバーベキュー(夕食)等、盛りだくさんの一日でしたが、今回は27日の労働に絞って報告させて頂きます。

27日(日)は、予想される日中の高温を少しでも避けるべく、全員で朝5時より労働を開始しました。私は岩井君(D50)、和田君(D46)、荒井君(D45)、元井君(D44)と5人で、牧草地脇の道の草刈りを担当しました。その道沿いには、60本の桜が約480メートルに渡り植樹されているのですが、この桜は、2012年11月の労働支援の際に学園父母、女子部卒業生、同学会、総勢30名程の方達により植樹されたものであるとのことでした。

開始早々は狙い通りの涼しさで、雑草の高さも膝くらいであった為、エンジンカッターを使用した草刈りは順調に進みました。しかし、1時間ほど経過した頃には、桜の植えてある場所を示している竹の支柱(高さ2メートル位)が見えない程に、雑草が茂ったエリアに突入。うっかりすると、誤って桜を刈ってしまうのではないかと思いましたが、桜は竹の支柱に対し必ず決まった位置に植えられており、そんな心配は無用でした。その規則正しく植樹された様子から、「良い仕事をしているな」、「どんな方達が植樹されたのだろうか?」、「あの先輩が参加されていたのでは?」、「参加された方々は、それぞれ様々な想いを込めながら植樹作業をされていたのであろう・・・・」等々考えながら草刈りをしていると、あっと言う間に朝食の予定時刻の7時となり、草刈り作業を一旦終了しました。

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朝食の際に、復興支援室の松原さん(D42)から「マサオの具合はどうか?」と質問を受け、何を言われているのか分からなく聞き直すと、「那須では草刈りを草刈正雄(俳優)に因んでマサオと呼んでいる」とのお返事。なるほど等と思いながら、束の間の休憩を取りました。
日頃の激務の疲労蓄積のせいか(?)大事を取って他の作業に移った和田君に代わり、向井君(D45)が加わった5人で8時より「マサオ」を再開。再開直後より気温はグングンと上昇。その上、覆い茂った雑草が無風状態を作りだし、体感温度は35度を大きく越えていたのでは・・・。それでも、岩井君と向井君が連れて来ていた、それぞれの娘さんが時折、配ってくれるドリンクと凍らせたタオル、そして笑顔に助けられ、なんとか「マサオ」を続行しました。全体の半分(250メートル)位に差し掛かった辺りから、ツルが足に絡みつき、歩くこともままならない状況に陥いり、急速に体力と気力が奪われていくことを感じました。作業終了予定時刻の11時までの残された時間(1時間ほど)を考え、「マサオ」の範囲を狭めることを決断。それまでは道の片端に植樹された桜から、道の反対端までの約10メートルの幅でしたが、桜を中心とする約5メートル位の幅に狭めることとしました。それに伴い、それまではエンジンカッターのみで作業を進めていましたが、鎌も併用し桜を雑草(ツル)の覆いから救出することに作業の意識が変化していきました。そんな最中、休憩の頻度が増えてきた「○井」君の姿を目にし、自分も相当疲れていることを再認識。周りを見回してみると、私より普段から体を動かしていそうな「○井」君は「長靴の中が自分の汗でチャプンチャプンだよ」などと独り言を言い、弱音を吐くイメージが無い「○井」君でさえ「もう、終わりにしても良いのでは?」と言い出す始末。元気なのは、娘さんに格好の良い姿を見せたく、張り切っている「○井」君のみでした。蛇足ですが、桜を雑草(ツル)の覆いから解放すべく格闘している5人の内、私以外の4人は全員が苗字の最後に「井」が付く「○井」君でした。残り時間も僅かになり、1本でも多くの桜を救出すべく更に作業範囲を狭めた時、松原さんが運転するトラックが雑草の壁から急に姿を現し、同乗していた向井君の娘さんの「終わりだよ!」との掛け声で桜救出作業は終了となりました。

昼食後、宿舎などの掃除を終え中村君(D46)が運転してくれるマイクロバスで那須を後にましたが、マイクロバスの窓からでもハッキリと見える様になった桜並木見て、なんとも言えない達成感を感じました。おそらく、4人の「○井」君と和田君も同じ気持であったのではないかと思います。

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- 2012年11月の植樹に参加された皆さまへ -

皆さまが、それぞれの想いを込めて植樹された60本の桜を全て雑草から救出することは出来ませんでした。しかし、その姿を見ることが出来た大よそ40本は、真っ直ぐに伸び背の高いもの(2メートル位)、幹が太いもの、ツルに行く手を阻まれ背は低いものの横に枝を伸ばしているもの様々ではありますが元気に育っておりました。その品種は染井吉野とのことですが、染井吉野は成長が早く30年も経てば大木、10年あまりで、それなりの大きさになるそうです。うかうかしていると、あっと言う間に大きくなってしまいます。大きくなる前に是非一度、那須農場にお出掛け頂き成長過程を実感されることをお勧めいたします。

今回食事作りを担当してくれた波間さん(J83)、幼方さん(J64)、深川君(D45)、疲れ過ぎて食欲が落ちていたにも関わらず美味しく頂くことが出来ました。特に朝食のひき肉と野菜の味噌スープは汗をかいた身体には格別でした。往復のマイクロバスを運転してくれた中村君、労働に加え、長距離を運転して頂きありがとうございます。帰りは爆睡してしまい申し訳なく思っております。最後になりましたが、農場の方々には大変お世話になり感謝申し上げます。また、お邪魔させて頂きますので、その際はよろしくお願いします。

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富田英和(D44)

<報告2>
国内各地で熱中症を取り上げるニュースが多くなるこの時期に労働は、「さぞ厳しいだろう」というのが行く前の正直な思いでした。一方、できれば人混みの喧騒から逃れ、爽やかな高原にでも行き、寝苦しい夜から少しでも解放されたいと願うのは、私ばかりではないでしょう。
那須農場一帯は標高が300メートル程度に位置していると思われますが、昼間はやはり強烈な日差しでした。しかし、朝晩は高原性の涼しい風を感じられ、都会からすれば素敵なこの時期ならではの「オアシス」でありました。

今回復興支援労働に参加した人は同学会員の他に、家族連れでこられた人が数名、また東北、一関から本部委員会に駈けつけてくださった室崎さん(D34)、女子部卒業生会からも有志の方に来ていただき、芝刈りや食事作り、食後の後片付けまでいろいろ助けていただいたことに大変感謝しております。

今回の労働は、防火用水としての役割もあるプール清掃、食堂東側にある除染作業で張り替えた芝生の芝刈り、農場宿舎へと向かう牧草畑(左面)の砂利道、両側の背丈ほどに伸びた夏草の草刈り、同学会の原委員長が中心になって放射能残留値測定として今年5月に設置した「放射性セシウム吸着モール」の回収作業、羽仁先生宅の清掃作業、牛舎清掃および餌やりの手伝いが主な内容でした。

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さて27日(日)早朝5時からの牧草地左面(宿舎に向かって)草刈りの状況について報告します。今回の草刈りは過去二年に経験した中でも最も過酷な状況だと感じました。暑さもさることながら、場所によっては背丈以上に夏草が伸び放題になっており、まるでサウナ室のような状態でした。そこに砂利道があるとは最初気づかない有様でした。そしてその砂利道伝いには480メートルに渡り、等間隔で桜が60本(震災後、2012年11月の支援労働で植樹)植えられ、それらを覆い尽くす夏草群が「魔物」のように感じられました。我らが「救援隊」であるとの気持ちが自然に湧いてくるのは、社会で揉まれ?少しはまともな感覚に成長した大人になったということでしょうか。

エンジンカッターで、桜の幼木を傷つけそうなところは鎌に持ち替え、さらに巻き付いたつるを一本一本丁寧にふりほどく作業は、頑強な体力保持者である富田君(D44)でも相当うんざりしていたに違いありません。荒井君(D45)の玉汗が顔から吹き出す姿も印象的でした。背の小さかった頃の男子部時代の姿しか記憶になかった岩井君(D50)が、その日は黙々と手を動かし、立派な父親に変身した姿を垣間見ることができたのも過酷な環境故でしょう。今回一緒に働いた和田君(D46)、向井君(D45)も直接感想を言い合ったわけではありませんが、適宜支給され、重宝した氷漬けタオルやスポーツドリンクでの休息タイムには、普段の生活では得られないだろうまた違った意味で「充実した眼付き」を二人に感じました。

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成長の著しく早い夏草の刈り取りはこの時期、一時も手を緩めることができないということでしょう。また数十名程度のまとまった人手パワーも継続して必要であることが今回よく判りました。支援労働を経験した人が、また誰かを誘い「絶えずサポートしていく」、これが大事なことではないかと改めて感じました。

午後、学園へと向かう帰路、バス車窓から見える夏草の背の高さから今回の草刈り労働の進捗状況が一目で分かりました。「何とか最後の桜まで仕上げたかった」、「次回誰かが鎌の手を入れてくれるまで、なんとか持ち堪えてくれよ」という気持ちが、作業した者の共通した感想だったと思います。そして、農場を後にするバスが見えなくなるまで手を振って見送ってくれた人たちがいたことに、ある種同学会の責任感も感じました。
「夏草や兵どもが夢のあと」とは真逆の方向性を。

元井修也(D44)

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<報告3>
卒業後学園に対しては、十年前くらいから野球部OB会の活動を通して、恩返しをしてきたつもりだった。しかし私自身が東京から八ヶ岳の西麓にある長野県・原村に引っ越したことや、肝心の野球部も部員が揃わず休部になったこともあり、ここ最近は学園から足が遠のいていた。そんなタイミングで昨年ホームカミングデーがあり、ということは我々44回生がいよいよ委員長クラスであり、徐々に学園を、同学会を意識する機会が増えた。それでも『何か』をするまでには至らなかったのだが、そんな私を半ば強制的に駆り出したのが『ファーガソン再生プロジェクト』だった。

3月末にメンバーの梯さん(D43)からSOSメールが届き、その内容からかなり困っていることが伝わってきた。お役に立てるかわからなかったが、そろそろ何か学園のために奉公しろ!という天のお告げと受け止め、4月にお手伝いに行った。行ってみたら、幸い私で解決できることだった。ものすごく感謝され、ちょっといい気になった。そのいい気持ちに浸りながら、復活を待つトラクターの姿を見ていたら、那須農場での記憶がよみがえってきた。高等科の時の労働は、正直特別な思いはないのだが、野球部の夏合宿ではとても楽しい思いをさせてもらったのだ。そう言えば、もらいっぱなしのままではないか。

これではいかん!

かくして、私は労働に参加することにした。あいにくその土曜日は、午前中に村の資源回収のボランティアがあり、それが終わってからの移動になる。すると那須農場に到着できるのは夕方。労働は日曜1日だけになるが仕方がない。行くことに意味があるのだ。そう言い聞かせながら、殺人的猛暑の中、那須農場に向かった。暑さと午前中の疲労でバテ気味だったが、なんとか五時半に辿り着いた。だがヒト気があまりない。参加者の大半は、近くの温泉に行っているのだそうだ。さすがに何度も来ているだけあって、楽しみ方を心得ている様子で好ましい。だがもっとマニアックな楽しみがあった!
それは、懐かしのドラム缶風呂である。しかも3つも沸かしてある。何という気合いの入りようだろう。柄澤(D44)に、「ウェルカム・ドラム缶風呂にようこそ!」と誘われる。我がクラスでは名栗の労働で、ドラム缶風呂は油断するとひっくり返るものだ、と三戸(D44)が全裸で教えてくれた。本能的に、真っ先に安定性をチェックする。これはしっかりしている。さすがだ。しかし入りたいのはやまやまだが、外はまだ明るい。それなのになんでこんなど真ん中に、しかも女性陣がいる台所から丸見えのところにセットしてあるのだ?あれこれ考えて、なかなか入れない。いや、そんなことを気にしている私がおかしいのだ。

いつの間にか日常に追われ、心を裸にすることを忘れてしまっていたのだ!

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すこしためらったが、結局私はドラム缶風呂に入った。すると小林(D44)が、雨水タンクを太鼓に見立てて棒で叩き、リズムを刻み始めた。そのうち柄澤が、幼方さんの小5の次男が、夕食準備を中断してまで台所から出てきた深川(D45)がわらわらと集まり、ドラム缶風呂の周辺で、おのおのが近くにある物を叩き始め、即興でセッションが始まった。まるでアフリカ原住民のお祭りのようだ。ドンドコドンドコ、タンタカタンタカ……おお、なんと独創的なのだろう!「誰かが入っている時は、叩き続けるのがルール」なんだそうだ。これがウエルカムの所以だった。こんな馬鹿馬鹿しい遊び、一体誰が始めたのだろう?心を解放した私も、いつしかドラム缶を叩いていた。
そして風呂から上がると、各自何も言わずにそれぞれの持ち場へ戻り、農場は何事もなかったかのように静寂に包まれる。夢か幻のような不思議な時間だった。そのうち、温泉組が戻って来て一気に賑やかになり、那須農場の日常が動き出す。夜はバーベキューだ。久し振りに会う顔、初めて会う違う年代の方々……分け隔てなく接することができるのは、やはり学園生の強みだ。社会に出てそれぞれ経験を積んで、また会うのは一層面白い。学園時代を知っていると、その変化がわかるのでなおさらだ。もしかすると学園の教育というものは、卒業後もずっと続いているのではないだろうか。お互いの変化から学ぶものがある。こういうつながりを持てたのは、今になって貴重な財産に思える。

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翌朝は全員5時から労働開始だった。当初、早朝労働は有志だけだったのだが、日中ものすごく暑くなりそうなので、早めにやって早めに終わらせようということになった。そのことを聞いたのは昨夜のバーベキュー後、しっかり酔っぱらった後だったので、朝起きるのは辛かった。というか、ちょっと遅刻した。他の皆さんはキッチリ集合していたようだ。すみません、次回から気をつけます…。

さて、私の担当は、まずは調子の悪い農場の車両を点検整備する、ということだったが、肝心の、調子の悪い車両を知っている農場の前田さんがどこにいるかわからず、とりあえず調子の悪い車両を見つけようと探したものの、軽トラもトラックもトラクターも全部エンジン掛るし走れるし、うーん…?と車両の状態をチェックするだけで終わってしまった。あとで聞いたらメーターがおかしいとかそういうことらしかったが、それにはせめてテスターがないとどうしようもないので、どっちにしろお手上げだった。
しかし前の晩に聞いておくべきだった。酔っぱらって眠かったから、明日の朝聞けばいいや、と思ったのが失敗だった。すみません、次回から気をつけます…。

朝食後は、花壇の草刈り。刈払機で刈っていく。植えた桜の木は切らないように!と言われたのでそっちに気を取られていたら、雑草の陰に置いておいたことを忘れて、自分の水筒を刈ってしまった。悲しかったが、桜の木の身代わりになってくれたと思って、気を取り直した。とても一人では終わらない面積だったが、3分の1程度刈ったところで別の仕事を頼まれた。牛の餌を入れる台車の底板に穴が開いているので、コンパネを切ってパネルを作り替える、という内容だった。

うだるような暑さの中で集中力を欠き、精度は良くなかったが、とりあえず作り直した。朝食後の労働は11時までということだったので、私の今回の労働はこれで終了。とにかく暑くて大変だったが、その後土砂降りになったので、朝5時から労働は正解だった。リーダーの松原さん(D41)、参加された皆さん、お疲れさまでした。そしてありがとうございます。

初参加だったので、持って行くものの準備や段取りなど、あたふたしてしまったが、これで少しは様子が分かったので、次の機会には、もう少しましな対処ができるだろう。ちょっとした工具、テスターは持って行くようにしよう。参加人数が多い時は、マイ刈払機も持って行こう。労働を効率良くやることと一緒に(むしろそれ以上に?)、楽しむことも考えよう。
行こうかどうか迷っている方がいらっしゃいましたら、どうぞ考え過ぎずに、軽ーい気持ちで行ってみたらいかがでしょうか。きっと『ウェルカム・ドラム缶風呂』が歓迎してくれます。あれ?毎回やっているのかな?……あれ?それより、ホントにあったんだよね?俺、夢か幻を見ていたわけじゃないよね?

薄井武信(D44)

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<7月の労働内容について>

7月の復興支援労働は、梅雨が明け日中の気温が35度を超える猛暑の中、26日(土)と27日(日)の2日間で行いました。今回は、同学会本部委員会が那須農場で開催されたこともあり、同学会、卒業生会等より総勢24名とたいへん多くの方々にご参加頂きました。

今回の労働内容は主に下記のとおり。

①貯水池(プール)の清掃および周辺除草

②桜並木および食堂棟・宿泊棟周辺等の除草

③牛舎清掃、作業補助、給餌用台車の修理

④農場内不要物の焼却

⑤施設周辺除染作業

⑥放射性セシウム吸着モール回収(5月に試験設置したもの)

初日の土曜日は、那須農場食堂にて本部委員会が開催されました。これにあわせ、通常9時発のマイクロバスの出発時間を1時間早め、参加者は8時前に学校正門に集合しました。那須農場到着後は、本部委員会出席組と労働組とに分かれ、労働組は主に食堂前の芝刈りと貯水池周辺の除草を先んじて行い、本部委員会終了後には、全員で貯水池(プール)の清掃を行いました。

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労働終了後は、前日入りした有志が準備してくれたドラム缶風呂や近くの温泉を楽しみ、夜はバーべキューで一日の労をねぎらいあいました。

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翌日曜日は、前日同様、日中気温の高騰が予想されたため、炎天下での労働をなるべく避けるべく、全員で朝5時より労働を開始しました。

朝食までの約2時間は気温もそれほど高くなく仕事もはかどりましたが、その後はぐんぐん上がります。加えて、この週末は風がなく、湿気を含んだ熱く重たい空気が全身にまとわりつきます。こまめな水分の補給と休憩を互いに気をかけることをそれぞれが心がけ、各持ち場での仕事を進めました。

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たいへん厳しい気候でしたが、早朝からの働きと参加者全員の頑張りにより、一部完了まで至らなかった作業もあったものの、予定していた労働はおおむね達成することができました。
多くの方々のご参加、そして、那須農場の皆さんのご協力に感謝申し上げます。

震災復興支援室

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