2014年度8月度那須農場復興支援労働および臨時労働のご報告
2014年度8月度那須農場復興支援労働および臨時労働のご報告
<報告1>
一昨年度から本部委員に関わり、昨年度は副委員長を拝任していたことも有り、比較的頻繁に那須支援労働に参加していた。が、不思議と今年はスケジュールが合わずこれまで不参加。諸般の事情が有ったにせよ、「責任が無くなった途端に行かねぇ~のかよ」と自責の念が頭を霞めていた中で、自分にとっては“今年初めて”の那須支援労働参加となった。
23日朝、東京を自家用車で出発。途中、東北自動車道上で気温“29度”の表示を確認。連日35度程度を記録していた東京と比較しなんと6度も低い!! 「さすが東京より北。快適な労働になるかな・・」などと浮かれた考えは、数時間後には見事に裏切られる状況を目の当たりにすることになる。
到着した農場の天気は晴れ時々曇り。その時は「東京よりは暑くないかな」という感覚だった。近くを流れる蛇尾川には連日の夕立の影響も有り水が出ていた。(蛇尾川に水が流れているのを初めてみた)
集合後、割り振られた労働は草刈り。4人で、エンジンカッターを利用し牧草地間の道路の脇の草を刈って行った。自分にとってこの仕事は成果が判りやすいという点で嫌いではない。ただ今回、始めるとやはり、かなり暑い。なんとも太陽が恨めしかった。熱中症の危険は認識し冷水の補給や冷やしたタオル等休憩を挟みつつ作業を行ったが、ほぼ作業を終えたころになって、メンバーの一人が熱中症らしき症状を発症してしまった。幸い大事には至らなかったものの夏場の労働の危険さを目に物見せられた状態だった。
翌24日の朝は5時から労働を開始。朝晩は本当に涼しく快適だった。本日の担当は牧草ロール運搬。牧草地に点在する、刈り取られ直径1.5メートル程度のロール状にした牧草の塊を集積所にダンプにて運ぶ作業を行った。この日も太陽が顔を出すと途端に暑くなったが、早めの作業で11時には終了した。
今回天気が心配されたものの、24日昼食後、農場を後にする頃に雨が降りだすという恵まれた労働だった。今回も女子部卒業生が数名参加され美味しい食事をご用意頂いた。
暑い中での労働だったが終わって労働時の写真を見てみると、皆晴れ晴れとした笑顔だった。旧知の仲間との労働は普段の生活では味わえない達成感が有る事を再認識した。
これから「収穫の秋」に向け農場も一年の中でも忙しい時期を迎える。例年行っている稲作も今年は生育が良く、このまま行けば昨年の数倍の収量が期待できるらしい。稲刈りなども含め支援労働に参加したこと無い人は是非参加してみると、学生時代とはまた違った楽しさを味わえると思う。
梯隆典(43)
<報告2>
那須農場支援労働を終え帰った翌日は、体中が何だか火照ったような感覚で、特に手に力が入らず、また腰から下の動きがぎこちない感覚に襲われています。これは毎度のことで変わらない光景です。土、日の二日間の光景がうっすら、うっすらぼやけてくる月曜日の午後、都会の生活モードに再び戻っていく中でこの報告を書いています。
7月の労働報告に続き、今回も農場で感じた事柄についてお知らせしたいと思います。
あれ程皆に口酸っぱく熱中症には注意を呼びかけていたにもかかわらず、熱中症?(日射病)に近い症状を訴えた人が今回も出てしまいました。これは我々、学生の頃にやらかした生活リズムの不摂生からではなく、明らかに普段の仕事の疲労が蓄積していることが原因として考えられました。本人の名誉のため、あえて「○井」君としておきますが、初日の午後、作業を終え、「晴耕寮」宿舎で氷づけタオルを脇と頭の上、頸まわりにくくりつけ、ひとりポツンと布団にくるまった姿を見て、つい数時間前までは元気な姿を見せていたので思わずその変わりように「ぎょっと」してしまいました。幸い大事には至らず、数時間後には食堂へ出てきて喉越しの良いものを食べるまでには回復してきましたが、とにかく人間の体というものは、微妙なバランス成分(水分、ミネラル、塩分など)のうえに成り立ち、そのバランスが少しでも崩れると血圧が変化し頭痛や、「気持ちが悪くなる」など顔色の急激な変化や、言動も平時と異なる状態に一気に変化してしまうことを、身を持って感じました。
さて、牛舎の手伝いでは、はじめにトウモロコシの貯蔵サイロで昨年発酵促進に用いた使用済ビニールの廃棄処理を行いました。小國さん(農場職員)の指導のもと、女子部卒の高田さん姉妹と梯さん(D43)のお嬢さんとで行いました。前日の雨で湿気を含んだ草叢の上での作業では働き出すと同時にむせ返る暑さに閉口しました。サイロの深さに見合う5メートルを超える大きさの使用済ビニールを半分、そしてさらに半分とどんどん折り畳んでいき、抱えられる程度の大きさにして、紐で縛る。その後、廃棄するための準備をしました。暑さと、湿気と、発酵した水溶液とが疲労のテンションを一気に持ち上げ、女性陣の中にあっては、なかなか「休もうや!」などと手を緩めるわけにはいかず、次第に口数が少なくなっていきました。小國さんが気を使って軽快なテンポで話しかけ、僕らを上手に誘導しながら彼が農場に来た経緯や、東京、その他、彼が住んでいたそれぞれの土地柄の話などで単調な仕事を飽きさせず導いてくれました。何故だか食べ物の話題でボンレスハムの話になった時に、骨なしが真の意味であったのでしょう、(つまりボーンレスを骨つきとして)話をしていると感じた高田さんが、突っ込みを入れてきた場面がありました。それを受けて小國さんがさらにテンポをあげ苦しそう?に説明する場面をハラハラして聞いておりました。あとで休憩時間に私がそっと「よくあれだけ喋り続けていられますね」と感心したら、苦笑いをしていたのがとても印象に残る青年でした。
その後に行った、生後間もない子牛の授乳は忘れられない思い出です。なんといっても子牛は「かわいい」につきることは勿論ですが、傍に近寄ると何かもらえるものと考えるようで、愛嬌のある無防備な仕種には、「早く丈夫で元気な姿になってくれ」と思わずにはいられません。授乳の際には、自分の手を口元に差し出すと子牛がその指を一生懸命吸い出す、その隙にミルクの入った哺乳瓶を咥えさせるといった具合なのですが、残念ながら馴れていない私はうまくあげることができなかったのがちょっぴり残念でした。小國さんの話によると生まれたばかりの弱い子牛をめがけカラスが牛舎の隙間から襲ったりすることもあるようです。子牛の眼を突っつかれそうになる僅差のところを幼方さんの次男である翔(かける)さんが救ったことなど、いろいろとご苦労な様子が見てとれました。哺乳瓶での授乳がうまくいかず、少々気落ちしていたところを高田さんのお嬢さん、和美ちゃんが「これとっても気持ちいいよ」というので近くに行ってみると、彼女の指を「ちゅうちゅう」と子牛が吸っているのでした。小國さんがやってみてくださいと背中を押してくれたので恐る恐る手を近づけるとパクッと指を咥えられました。ざらざらとした舌で人差し指を上から下へと吸われるその感触は、まるで指圧をされているようでした。それが何とも心地よく、一層の子牛に対する愛くるしさを感じました。ここで一気に疲れて落ち込んでいた気分が解消されたように感じるのでした。
翌日のエンジンカッターでの草刈りは、幹線道路沿い、牧草地とトウモロコシ畑の両沿い、電気フェンスの下を宿舎に向かって進めていきました。高速回転するカッターの刃の当て方もかなり習熟し、4~5センチの間隔であれば自由にコントロールがつけられるように感じました。アザミ?と思われる黄色とローズレッドの花に寄ってくる無数の蝶々が受粉や蜜を吸って短い高原の夏を楽しんでいるように見えました。とめどもなく成長する夏草群共々一気に刈ってしまいたいところでしたが、せっかくの習熟したテクニックは活かさずにはいられません。花に群がる蝶たちの一角を残し、まわりの刈り込みに精を出しました。あとで考えてみると、青い空に映える白と黄色の蝶たちの姿が、ある種、殺伐とした都会の荒涼感を癒す役目をしてくれたなと感じています。そういった意味で今回の支援活動ではこれら3つの出来事が、「生命の営み」を考える、思い出深い夏休みであったと感じています。
元井修也(D44)
<8月の労働内容について>
夏の農場は、通常作業に加え、牧草や飼料用とうもろこし(デントコーン)の収穫が重なる繁忙期です。復興支援室ではこの時期に3週続けての労働支援を計画。今月は23日(土)と24日(日)、30日(土)と31日(日)のに希望者を募り、23日、24日には同学会、卒業生会等関係者合わせて15名、30日、31日には11名の有志にご参加頂きました。
主な労働の内容は以下のとおりです。
◆8月23日(土)、24日(日)
①牧草ロールの運搬
②桜並木、牧草地、宿泊棟、牛舎等施設周辺の除草
③施設周辺除染作業
④農場内可燃廃材の整理、焼却
⑤牛舎清掃、作業補助
◆8月30日(土)、31日(日)
①牧草ロールの運搬
②鉄廃材の整理と処理
③堆肥場周辺の除草
④デントコーン収穫準備
・サイロ受け入れ準備、周辺除草
・運搬用トラックへのアオリ取り付けなどの機材準備
⑤牛舎清掃、作業補助
両週末ともに天候には恵まれ、また、2週続けての労働の甲斐あり、牧草ロール運びでは100を越えるロールを牛舎近くの保管場所まで運搬でき、デントコーンの収穫準備も整えることができました。その他作業もおおむね予定どおり進めることができました。ご参加下さいました皆さん、そして農場の皆さんに感謝申し上げます。
一方、今回の労働では、こまめな水分補給や休憩の取得を心がけつつ臨んでいたものの、途中熱中症の症状が表れた人がいました。幸い症状は軽く、宿泊棟で横になり体を冷やしつつ休めたところ夜には食事を取れるほどに回復しましたが、今後は参加者の体調管理により一層の注意を払い、支援労働を安全かつ健康に行えるよう心がけます。
震災復興支援室