2016年7月度那須農場復興支援労働報告
<7月の労働内容について>
7月の労働は、村山さん(D38)率いる女子部97回生父母及びご家族の方15名のほか、同学会12名、卒業生会6名、女子部生5名、初等部生1名、卒業生家族4名、在校生父母15名、一般参加3名で、過去最高となる46人の方がたに参加頂きました。
また、東北支援の帰りに女子部部長の佐藤先生(D38)が参加して下さいました。人数も多く、たくさんの作業をすることができました。
主な労働内容は以下のとおりです。
◆7月30日(土)31日(日)
①牧草地竹除去
②桜並木草刈り
③池掃除
④花壇作成
⑤梅林伐採
⑥車庫ペンキ塗り
⑦牛舎作業補助
桜並木草刈り:雑草に覆われた桜の周りを除草。桜をエンジンカッターで切らないよう、桜の近くは鎌を使って手で刈りました。
池掃除:昨年はできなかった池掃除を実施。これで今年の夏は泳げます。
花壇作成:農場入り口の花壇を植え替え、木の剪定を行いました。
車庫ペンキ塗り:車庫の柱のペンキ塗りをしました。父母の方や子供たちの活躍で終わらせることができました。
牛舎作業を子供たちが手伝いました。また、初めて農場に来た方が多かったので前田農場長がトラクターライドを行い、農場を案内するとともに外の餌やりを行いました。
日曜日は選抜隊が近隣地域の川掃除に参加しました。
子供たちは魚の掴み取り、その後地域のBBQに参加させて頂きました。
那須農場復興支援室 濱田宏太郎
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<参加者の感想>
今回参加頂きました女子部高等科3年父母の鷺沼さんと、2年4か月ぶりに労働に参加した阿部さん(D41)に感想を頂きましたので、掲載させて頂きます。
那須農場労働支援ボランティアに参加して
女子部高等科3年父母 鷺沼 隆
子牛の世話やBBQを楽しみにしている寝不足な2人の娘(5年生、4歳)と、朝早く自宅を出発しました。
東北自動車道を進み、西那須野ICで降り、国道から県道へ、道はだんだんと狭くなってきます。地図を確認して進んでいくと、途中から舗装が途切れ、砂利道になってしまいました。左手にはトウモロコシ畑、右手には牧草地が続いています。
「本当にこっちでいいの?」とお姉ちゃんが不安そうです。妹は“ガチンガチン”という石が車を打つ音に「車、こわれちゃうよ」と心配しています。
砂煙を巻き上げながら進んでいくと、牛と小さな子供が描かれた看板がありました。「あっ、ここだ」、かわいい看板が「ようこそ~」と言ってくれているようで、ホッとしながら入っていくと、食堂とおぼしき建物や比較的新しい建物、そして牛舎や作業小屋などがありました。少し古びた感じですがとても温かい感じがする、ここが自由学園那須農場でした。
学園に農場があるのを知った時、農業を専門に教えていないのに、活動の場として農場を持っている、このこだわりのすごさを感じ、原発事故の影響で活動がストップし、学生が使えなくなったことへの残念さを感じました。現在高3の娘が中等科へ入学した年でしたので、とても印象に残っておりました。しかしながら放射能のことも落ち着き始めると、次第に農場のことも薄れていきました。
そんな中、女子部97回生の父母の懇親会(飲み会ですね)で、あるお父様から「那須農場の労働支援を同学会でやっているのだけれど、今度、父母でいこうよ」とお誘いがありました。父母として学園には出来るだけ協力したいと思い、父母料理や協力会のボランティアなど参加をしてきましたし、他にお手伝いが出来るものがあれば協力していきたいと思っておりました。
「あの那須農場か、行ってみたいなぁ。でも同学会じゃないし、いいのかなぁ」、と思っていると、同学会でなくても参加できること、職員が3人で人手が足りていないこと、少しでも多くの人手が必要であることなど、さらに宿泊もできるし、作業後には楽しい懇親会、冷えたビールの話が出ては、行かない理由がありません。というわけで、今回の1泊2日のボランティア参加に至ったわけです。
さて、ボランティア当日、午後になり学園出発組の皆さんも到着しました。参加者全員で今日の作業の打ち合せ、草取り班など作業ごとに人数を振り分けます。
私は子連れということもあり、子供たちも取組めるペンキ塗り作業になりました。トラクターなどが置いてある鉄骨組の建物を塗り替えるのです。壁はないので柱を塗り替える作業です。所々サビが浮き出て、古い緑色のペンキが剥がれたりしていて、相当古びた感がありました。
わがペンキ班は大人5人、中学生4人、小学生1人、4歳1名です。ワイヤーブラシで古い塗料やサビを落とし、子供たちは手の届く範疇を、大人たちは脚立に乗って赤いペンキを塗っていきます。
鮮やかな赤がどんどん広がっていくので達成感があるのと、ローラー刷毛が楽しいのか、子供たちも楽しんでいます。特に中学生の働きぶりはすばらしい。協力し合ってどんどん塗ります。4歳のわが子はさすがにできないので、中学生の周りをちょろちょろしています。
作業もひと段落すると中学生のお姉ちゃん達に抱っこされたり、鬼ごっこをしたりと遊んでもらって大満足。そして夕方5時過ぎ、ついに1棟なんとか完成。完璧ではありませんが遠目から見ると、そこそこうまく塗ることができました。
この後、放牧している牛のエサやりに同行、なんと移動はトラクターが牽引するワゴン(トラックの荷台みたいなもの)。究極のオープンカーに子供たちは大はしゃぎです。放牧場へ近づくと、牛もわかっているのかエサ場に集まってきます。
職員の方や手伝いに来ていた最高学部生に、牛にはいろいろな種類があることや、エサの取り合いにならないように均等にまかなければならないことなどを教えてもらい、子供たちがエサ場箱にまいていきます。娘たちもこんなに近くで牛を見るのは初めてだったようで、顔の大きさにびっくりしていました。今日の作業はこれで終了です。
この後、皆で近くの温泉へ。そしておいしい夕食、就寝となりました。
作業2日目。朝の作業、子供たちは中学生と一緒に子牛のエサやりへ。最高学部生からミルクの作り方を教えてもらい、大きな哺乳瓶で飲ませます。
「かわいいね」「あっという間に飲んじゃったよ」、手をなめられたり、頭をなでたり子牛とのスキンシップを楽しんでいます。小学生の娘は子牛をなでて、抜けた毛をビニール袋に入れています。聞くと「夏休みの自由研究。いろいろな動物の毛について調べるんだよ」とのこと。「そうか、えらいな」と言ったものの、牛以外の毛はどこで手に入れるのか?・・・。
日中の作業は初日に引き続き子連れということで、近所の農家の方が管理している水路の草取り清掃作業です。子供たちは水路で魚のつかみ取りに参加、大人は水路の草取りを地元の農家の方と一緒に行いました。水深は足首程度。冷たくて気持ちがいいです。やごや小魚もいます。
その日も30度超えでした。農場で汗を滴らせて草取りをしている他の方々、ごめんなさい。次回は草取りがんばります。などと思いながら石垣に生えた草をむしっていました。
昼前には作業も終わり、子供たちと合流。ご近所の農家の八月朔日さんの庭でBBQを楽しみました。
聞いてみるとこの行事は「さなぶり」といって田植えの後の感謝会みたいなもので、神様と人々に感謝の意味をこめて祝うことだそうです。BBQを食べ、子供たちのスイカ割に興じている姿を眺めながら、農場が地域に根ざし、同じ苦労を重ね、地域と協議してきた結果、今があり、今後も続けてほしいと思いました。
広大な農場、3人の職員の皆さんの働きはいかほどのものでしょうか。たった2日間のボランティアで想像できるものではないですし、大変だと簡単に言えないのですが、職員の皆さんの笑顔を思い出し、あえて言わせてください。「本当に大変だと思います。ありがとうございます」。
夕食、朝食を作っていただいた皆様、お世話になりました。ごちそう様でした。すべて手作り、心のこもった料理をとてもおいしくいただきました。食べるのはあっという間ですが、作るのは大変です。ありがとうございました。
また、同学会の皆様、大変お世話になりました。ある方から「ボランティアというよりも、これは修養の場なのです」と聞きました。大切にされている農場に自分も少しだけですが貢献できたことを嬉しく思っています。そして自分にとっても修養の場になるよう、今後も参加できればと思います。ありがとうございました。
このような活動ができる、そして男子部の宝物をいっぱい持っていらっしゃる同学会の皆様がうらやましいです。帰りの車の中、娘たちはリアシートでぐっすり眠ってしまいました。ペンキを塗ったり、遊んでもらったり、子牛に指をなめられたり、楽しい思い出がたくさんできました。いつか農場が再び、生徒たちの活動の場となるよう願っております。ありがとうございました。
農場への想い
阿部 泰久(D41)
2012年から本格的に同学会で取り組んでいる那須農場への支援は、すでに5年目に入った。同学会だけでなく、女子部の卒業生、父母、子供たちなど、実に多くの方が農場への思いを込めて活動されている。毎月の労働は私にとって意義のあるとても楽しみな時間であり、年を取ったら農場で畑仕事をするのもいいな、などと勝手な想像をしたりもしていた。
ところが、2年前、突然病気になってしまった。
日々の生活もつらくなり、当然、労働に行くこともできなくなった。仲間の毎月の活動を見聞きしては、「自分は何やってんだろう・・・」と、歯がゆく、悔しかった。せめて朝の見送りだけでも、と思い、労働の朝、学園に行き、出発する仲間の無事を祈ることくらいしかできなかった。
「働かざる者、行くべからず」。労働支援なのだから、それができない自分は行く資格がない。行ってはいけない。いつも、自分にそうきつく言い聞かせていた。しかし、農場仲間から「何もしないでいいから、とにかく行こう」「ただ訪れることも、大きな支援だと思いますよ」と度重なる言葉を受けて、先月久しぶりに支援活動に参加した。
2年4か月振りの農場。いつも写真で見ていた大好きな風景が、にじんで見えた。
「おかえりなさい」「待ってました」「ゆっくりしてって」
農場の職員の皆さんも、ご家族の方も、あたたかく迎えてくれた。
今回は、女子部高3の父母の方々も多く参加されており、初めて農場に来られた方もご家族連れの方も、それぞれの担当区域で一生懸命に労働されていた。予想外の猛暑の中、疲れ果てながらも、それを楽しんでいるかのような表情であったのが印象的だった。
「できることを、できる人が、できるときにしよう」。息の長い支援活動をしていくために心がけていた言葉であるが、2年以上農場に行けなかった間に自分に何ができるのかを探していた私は、今、改めてそう思う。
たとえ労働ができなくても、たとえ実際に農場に行けなくても、たとえ遠くにいても、「それぞれの場所で農場に思いを馳せること」も、大きな支援になると思う。事故がないことを祈ることも、職員の皆さんやご家族の笑顔を思い浮かべることも、支援につながるのかもしれない。
私は那須農場が大好きだ。生き物はあまり好きではないので、牛を見てもかわいいと思ったことは残念ながら一度もないが、年代を超えた仲間と無心になって労働する時間、一緒に過ごす時間は、私にとってかけがいのない大切なものである。
東日本大震災による原発事故の影響を少なからず受けた農場には、今はまだ、学園の生徒は公の活動としては行くことができない。
しかし、いつか、近いうちに、必ず、学園の子供たちが農場に戻れる日が来ることを、心から願っている。多くの農場ファンと一緒に、その日のための準備を続けよう。
4年前に、たくさんの方々の思いを込めて植えた、100本の桜。ごぼうのように細く頼りなげだった苗木が、いまでは2mを超えるほどになり、いつの日か、農場名物の立派な桜並木になることを夢見ている。
1700人いる同学会員の中で、私にしかできない支援活動が、実はひとつだけある。希望の光を信じて、自分にできることを、これからも続けていきたい。
農場に行って長靴を履かなかったのは今回が初めてだったが、もしかしたら、少しは何かの役に立てたのかもしれない。
2年4か月振りの那須農場。行ってよかった。