羽仁淳先生へ お別れの言葉
*会報185号・P16の追悼文の全文をここに掲載いたします。(会報は2016/12/27前後に皆様のご自宅に郵送されております)
淳先生
女子部の山田です。
この度の訃報に接し、自由学園にとっても日本の体操界にとってもかけがえのない方を失った悲しみと、また、感謝の気持ちで一杯です。
最後にお会いしたのは1学期の中頃の暖かい日でした。いつものように素敵なハンティング帽をかぶり、ウォーキングポールを持って颯爽と正門前を歩いておられ、お声掛けすると学校の様子をにこやかに聞いてくださり、労いの言葉まで頂いたことが昨日のことのようです。その溌剌としたお声が今も心に響きます。
私は、創立60周年記念体育館新築の頃に入学し、最高学部まで淳先生に体操の指導をして頂きました。音楽に乗って、淳先生の「フュイッ、フュイッ」という何か楽しげな掛け声に合わせて動いていると、いつの間にか汗が滴ってきて、その心地よい爽快感と翌日の筋肉痛は、卒業生の誰もが懐かしく心と体に刻まれていることと思います。女子部の全員体操や学部体操も、淳先生が指導して下さいました。(学部1年の時には、ご子息の知治さんが記念体育館で先生の体操に合わせて作曲してくださったこともあります。)
そして、私が卒業後も学園の体操に関わることになり、デンマークのオレロップ国民高等体操学校や国内での学びを深める際も、いつも温かく応援してくださり、言葉に出来ないほど多くのことを教えて頂きました。
淳先生は自由学園を卒業後、羽仁吉一先生の命でオレロップに留学された(エリートチームにも所属、後の3代目校長ゴナー氏とバディを組んで活躍)とお聞きしています。帰国後は、関西でのデモンストレーションなどにも遠征され、その後、長く男子部や男子最高学部の授業を持っておられましたが、後年は女子部の担任もなさり、体操以外でも私たちは沢山のことを学ばせて頂きました。
女子部の遠足も安部先生から引き継がれ、リーダーとして女子部を率いてくださいました。共に係を務めさせて頂く中で、3,000メートル級の山々に向かう危険を伴う厳しい行程が、その存在とお話の中で、いつの間にか多くの見守りの中に私たちがあるのだといった安心感を得て、チャレンジしていくことができたと感じます。
礼拝でも、度々お話してくださいました。講堂を右に左にと歩きながら、時には後ろの日番や座っている生徒に向け「どうだ」と語りかけてくださり、創立者にお会いしたことのない皆にとっては、ミスタ羽仁とミセス羽仁を見ているような気持ちで、その声が魂に響いてくるようでした。
70歳を迎えられた頃、学園を退かれることになり、皆どんなに心細かったことか。自分の綴った学園新聞を読み返してもその緊張感がよみがえります。本当に自由学園にとって、私たちにとって、大きな存在でした。その後も先生は私たちの拙い取り組みを常に厳しく温かく見守ってくださいました。(総練習にも必ずいらして「奇をてらった体操ではいけない、本物の体操をしなさい」と歩き方や腕の伸ばし方の手本を示してくださり、その美しい姿勢に皆から感嘆の声が上がっていました)体操会が近くなり、準備が押し迫って来ると、毎年お手製のデンマーク風のアップルケーキを焼いて、体育館の教師室に届けてくださり、そのお心遣いに今も感謝の思いが募ります。
デンマークからチームや指導者が来校した際も、必ず駆けつけて皆の交友を深めてくださいました。数年前にデンマークのナショナルチームが来日した際、若いリーダーから「ジュン・ハニにぜひよろしく」と託された事もあります。年代や役職などに囚われず、誰とでも同じように接してくださるお姿から、国境を越えて、皆が淳先生のお人柄と本物の持つ風格を感じ取られていたのだと思います。
2、3年前まで、女子部の遠足や体操会前には、その歴史や大切な心持ちを生徒に向けてお話して頂きました。その際にはいつもミスタ羽仁のお好きだった漢詩を色紙に書いて持ってきてくださいました。そこには、ミスタ羽仁の「自由学人」の署名のように「南沢学人」と印が記され、皆その言葉を心に留めて教室に飾っていたものです。
「少年易老学難成 一寸光陰不可軽 未覚池塘春草夢 階前梧葉巳秋風」
現在、女子部のリーダー学年の高等科3年生が中等科の時には、修養会にも同行してくださり、雑司ヶ谷短信から読書をして頂いたこともありました。「自由学園はクリエイションの最中、創造の最中だ」と熱のこもったお話で、生徒たちは、淳先生の魅力に引き込まれて聞き入り、皆、今でもそのことを鮮明に覚えていると話します。
私が学部を担当した10年余りは、最高学部生にも年に一度、全学年に体操指導をして頂きました。その温かく厳しい指導に、普段、気の入らない学生もいつの間にか真剣に向き合い、途中、滴る汗にモップを持ってフロアを拭きつつ、みっちり取り組む事もしばしばでした。終わった後の学生は皆、先生のお話に食い入るように聞き入り、爽やかな笑顔で帰っていきました。デンマーク体操の真髄を教えて頂く貴重な学びの時でした。淳先生はいつも「眠くなるのは先生が悪いからだ。私の授業では、誰も眠くならない」と話され、指導者に向けても大事なことを伝えてくださいました。
2011年には、創立90周年記念の体操会にかけて「日本体操学会第11回学会大会」を自由学園で開催しました。淳先生には、名誉会長をお引き受けいただき、各大学を始め体操の専門家に向けてデンマーク体操の指導や発表もしてくださいました。体操会では多くの卒業生が集い、先生のご指導で練習を重ねた「卒業生体操」が発表できたことも貴重な思い出です。
体操だけではなく、槍ヶ岳登山やスキーなどをご一緒させて頂いたり、写真展に山の写真が入選されたり(教師室に飾られています)など、とても多才でおられ、教師室ではお向かいの席で様々なお話を伺い、本当に恵まれた日々でした。
先生ご自身がデンマークへの留学後、昭和36年に書かれた著書に中では、留学された際に感じられた「生活と体操の結びつき」が日本でも実現できたらいい、と記されています。
オレロップの2代目の校長は巻頭に、この本が、勉強の喜びを感じ、賢い美しい善い人間を形成するのに役立つことと期待を寄せておられました。
東京大学の加藤教授(自由学園の体育に古くから助言してくださっていた方)は、当時、スポーツ・技術の分野であっても「難しい記述でないと本ではない」と思われている風潮の中で、写真を全面に取り入れた淳先生の新しい試みに、心からの拍手を贈り、『この本こそわが国で紹介されたものの中で最も忠実にデンマーク体操の真髄を伝えたものであろう』と称える一方、『ひたむきにデンマーク体操の研究と指導に徹してこられながら、世の中に自己の存在を示そうとする気の全くない人』という敬意も表しておられました。
私たちは淳先生から、単に体操の技術や健康づくりということだけでなく、その中に刻まれた精神を教えて頂いたように思います。加藤教授は、淳先生の指導による自由学園の生徒の体操を『感情のこもった見事な体操の花が咲いた。汚れのない純粋な心と姿をとどめた体操』と表されました。
創立者の精神と、デンマーク体操と、神に繋がる道、私たちも後を引き継ぐ者として、先生から学んだこと、残してくださった賜物を大切に、昨日、自由学園でお別れした生徒たちと共に、精一杯の務めを果たしていきたいと思います。本当にありがとうございました。
2016年10月27日~告別式にて
自由学園 体操教師 女子部65回生 山田
淳先生の素敵な笑顔。ビボー体操学校の元教師キス・ウスタゴー(Kis Ostergaard)さんと