2016年12月度那須農場復興支援労働報告
今年最後の支援労働は12月17日・18日に行われました。
大忘年会開催をアピールしたためか、初参加5名を含む21人(同学会13名、卒業生会5名、学部生1名、子供2名)が集まりました。
12月の作業内容は下記の通りです。
①乾牛舎ルースバーン整備
②COWトレーナー位置修正
③堆肥小屋屋根補修
④干し草置き場屋根作成
⑤子牛牛舎隙間埋め&おが屑入替え
⑥廃材燃やし
⑦宿舎・食堂棟窓ふき及びワックスがけ
⑧牛舎徹底掃除
⑨除染作業
①乾牛舎ルースバーン整備。牛が激突し壊れた柵を、単管パイプ等を使用し補修
②COWトレーナー位置修正。牛が背中を曲げないようにするギザギザの刃の位置を修正
今回も食事つくりありがとうございました。
日ごろの同学会活動に感謝して46回生差し入れのアンコウ。小林副委員長(D46)が吊るし切り
今月は、初参加の女子部59回生・林さんと、常連の男子部28回生・福田さんに感想をお寄せいただきました。
那須農場労働支援ボランティアに参加して
真中が林さん
女子部59回生 林 仁子
卒業後、進学した大学の畜産学科の学生として実習させてもらって以来の那須農場労働でした。
30数年前、迎えにきて下さった大塚郁子さんが 、ハンドルに覆い被さるように運転していた蛇尾川も、重機が入っていて整備が進み、車が跳ね上がることもありませんでした。ただ、河原に住 んでいたヨタカが、その後どこに転居したか、ちょっと気になっています。
今回の参加で、感じいったことを2つ。
一つ目は、同学会・卒業生会の諸氏の実力のすごさです。卒業後は、会食などの場面でご一緒することはあっても、作業をするようなことはなかったので、どんな仕事でも、さっと振り分け、プロ級の技術で必要なことをどんどんやってのける、かっこいい姿、あっという間に終わる洗い物に驚愕。
日頃職場でありふれているストレスの元凶、「指示待ち」「 ゆとり」「いわれたことだけを、なにも考えずにやる」などは、ここでは別世界のことでした。存分に体を動かして、翌朝はかつての女子部なみにご飯をおかわりし、久しぶりの健康感を味わいました。
もう一つは、牛たちのおりこうなこと。掃除していると動いてほしいと思って居る側に、すっと移動してくれる協力的な態度!
若かりし頃、初めて牛舎掃除をしたときは、牛に「ちろっ」と横目で見られて、がんとして動かない、わざと蹄で足を踏んづけてくるなどの新参者いじめにあい、餌槽をはく巨大な竹ぼうきにふりまわされ、女子部のプライド(?)がずたずたになって半泣きだったのがうそのようです。牛も農場の皆さんのすばらしい働きをみて、考えて行動する学園的思考を完全に身につけていました。
2日にわたり、初めてお会いしたメンバーとは思えない家族的な雰囲気の中で働き、食卓を囲み、お誕生日会までしていただけました。絶品のアンコウ鍋・カボチャスープに始まり、帰りのアイスクリーム、おみやげのおにぎりに至るまで、おなかも、筋肉も、心も満たされ帰途につきました。
行き帰りともすばらしい富士山が見られ、一同の心がけが申し分なかったことも確認できました。熱心に那須行きを誘って下さった濱田さん、往復の長距離バスの運転もしていただいた中村さん、一緒に楽しい時を共有できたみなさん、そして、快く迎えていただいた農場の方々に心より感謝します。ありがとうございました。
12月那須農場支援労働感想文
男子部28回生 福田 俊介
卒業以来、同学会の会費は払っているものの、学園とは疎遠になっていた自分が約40年振りに那須農場を訪れたのは、2011年の10月でした。
その年、在学中熱心に取り組んでいた体操の縁で、90周年体操会の卒業生体操に参加。その時の演技を指導された、羽仁 淳先生を今年の秋、那須農場キャンプイベントの翌日、天国へお見送りしたことにも巡りあわせを感じています。
体操会の後、当時の同学会委員長の阿部さん(D41)から、那須で学部生がゼミの一環として手掛けている有機米の刈り取りについて、原発事故の影響で学生が活動できず、同学会で作業の支援をしたいとの誘いを受けたのが最初でした。
当初は、学部生の預かる田んぼの整備支援中心と思っていたのが、その後農場施設の除染作業から、数少ない農場職員の方々で手の回らない作業の手伝い、更には牧草、デントコーンなどの収穫や圃場整備など、繁忙期の特別支援を含め、個人的にスキー関連が忙しくなる冬場を除き毎年4月から11月前後まで、5年間ほぼ月1回のペースで、農場通いをしてきています。
その間、同学会委員長が岩佐さん(D42)、松原さん(D43)、原さん(D44)、石川さん(D45)、中村さん(D46)と受け継がれていく中、同学会による那須農場支援は、卒業生会や、在校生父母にまでその賛同者の輪を広げ、連綿として受け継がれてきていることは、自由学園という共通の基盤を持つ者同士の絆を感ずるところです。
なぜ全く疎遠になっていた那須農場を、続けて訪れるようになったのか? 誤解を恐れずに言えば、自分にとってこれはリクリエーションです。
実際に農場で生活し、働いている方々には失礼な話と負い目に感じていたところ、ある時農場職員である幼方さん(D30)から「労働に来てもらえることは、物理的にも精神的にも大助かりで、支えになっており、そこに楽しんで来てもらえるならば、それ以上のことは無い」との言葉をいただき、大いに安堵しました。
もう一つ、同学会の委員長並びに本部委員は50歳前後の方々が中心で、まさに社会でも大いに力を発揮している年代です。このように、自分より一世代から二世代若い最前線で活躍している方々と、一緒に仕事をして夜は酒を酌み交わす機会は、大きな刺激と経験になり、自分の生活にも跳ね返ってきていて感謝の限りです。
さて、本題の労働の報告に移ります。まず土曜日は、牛の暴走で倒されたルーズバーン(乾乳牛舎の運動場)の柵を、単管パイプとクランプを使って修理しました。要は足場材を使って、柵を作るわけですが、これまで見たことはあっても実際に利用したことは無い部材を、どのように組み上げるか、なかなか達成感のある作業となりました。
その後、農場長の前田さんによる、同じく単管パイプを骨組みとした干し草保管庫の組み上げも見学しましたが、その活用方法の広さは勉強になりました。
日曜日は、木工です。11月から農場で働き始めた多々良さんと共に、子牛牛舎のピットの柵の隙間を感染予防等のために、仕切り板を拡張して完全に塞ぐ作業を行いました。
電動鋸でコンパネを切断、穴をあけて針金で固定する段取りとなりますが、板の取付に際しては仔牛のいるピットの中で、ペロペロ攻撃と体当たりに耐えながらの作業となりました。新しい職員である多々良さんの人となりを感じることもでき、楽しい共同作業でした。
もう一つの本番、夕食はクリスマス&忘年会ということで、期待の卒業生会シェフの出番予定だったところ、急な仕事で不参加となり不安に思いましたが、そこは懐が深く多彩な人材を有する同学会。宇野シェフ(D48)を中心に、委員長クラス(D46)差し入れアンコウの吊るし切りからのアンコウ鍋と鮟肝ポン酢、ローストビーフ&ポーク、カボチャのポタージュ等々、大満足のメニューとなりました。
飲み物もビールに始まり、ワイン、差し入れの「獺祭」等々、更には持ち寄りとギフトによるパウンドケーキやシュトーレン、恒例の手作りバースデーケーキと夜も更けて行き、子供たちにはいつものサンタさん(今年はもうマンネリだと少しすね気味のサンタでしたが・・・)も登場して、讃美歌も聞こえる大晩餐会となりました。
さて那須農場は現在、3.11の影響から徐々に落ち着きを取り戻し、ここ1~2年は運営体制も変化して、限られた予算の中でも牛の飼育管理方法の新たな工夫や、建物の整備などが進められ、搾乳牛舎満杯となり乳量も増えて、事業として安定感を増してきていると聞いています。これからは、自由学園が保有する教育農場としての面が、どのように展開して行くのか大変興味のあるところです。
我々がかつて経験してきた那須農場とは違った形で進化するのかもしれませんが、これからも足手まといにならない限り農場を訪れて、その発展の様子を見ていきたいと望んでいます。
まずはこの5年間、農場の方々、同学会委員、卒業生会をはじめ一緒に働いた方々、有難うございました。これからも、よろしくお願い申し上げます。
<那須農場復興支援室より>
早いもので、今年度の活動もあと2回となりました。今まであまり手が付けられなかった除染作業も再開。
委員長が目標にしている安全宣言を、年度内に出したいと思っております。1月は恒例の餅つきをやる予定です。
毎月様々な方から感想を頂いておりますが、皆さん本当にいい感想をお寄せくださいます。
学生時代の那須の思い出しかない方、是非那須を体験してみてください。
今後の予定
1月21日・22日(餅つき大会)
2月休止
3月11日・12日
那須農場復興支援室 濱田 宏太郎