2017年3月度那須農場復興支援労働報告

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2016年度最後の労働が、3月11~12日に行われました。3月末で退職される30回生幼方さんの送別会の開催もあってか同学会17名、卒業生会3名、学部生1名、学園関係者7名、一般3名の参加を頂きました。

3月の作業内容は下記の通りです。
①牛舎新築工事
②竹林竹駆除
③車庫ペンキ塗り
④梅林除染作業
⑤牛舎作業
⑥その他

今回写真が多いため、別途アルバムにまとめました。こちらも併せてご覧ください。
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①牛舎新築作業 老朽化した牛舎を新築 ②竹林竹除去 牧草地に侵入してきた竹を除去
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③車庫ペンキ塗り ④梅林除染作業
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⑤牛舎作業
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⑥その他
昔使っていた、牛乳を入れるものをリメイク/メインシェフは48回生宇野君
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今回は2月・3月の誕生日者のお祝い/日曜の昼はセルフハンバーガー。焼き立てのハンバーグが美味でした
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今回は3月末で農場を退職される30回生幼方さんの送別会を行いました。代表によるスピーチやみんなで書いたメッセージカートのプレゼント。そして参加者による復興支援ソング「花は咲く」をプレゼント致しました。

往きのマイクロ車中で歌の猛特訓/本番
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小林副委員長よりサインボールの贈呈/メッセージボードの贈呈
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今回は感想文として、最近牛舎の作業も担当するようになったJ57回生竹島さん、那須支援には欠かせないマイクロバス運転手及び肥汲み担当の中村委員長、そして学部キャリア支援を見ていただいています42回生小堺君の声を掲載いたします。

 

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みなさんもいかがですか?

女子部57回生 竹島 るみ子

わたしが那須農場の労働支援に参加し始めたのは、震災翌年の夏頃でした。
実はそれまでの自分にとって那須農場は、卒業前の修養会で懺悔と労働の数日を過ごしただけの、何の思い入れもない場所でした。

が、長女(J85)が学部1年のときに食の係で、那須でお米作りを始めることになったり、翌年中1になった次女のクラス(J92)が農場で田植えと宿泊学習をすることになり、そのお食事作りのために一緒に宿泊して2泊3日のお料理をしたことで、急に農場が近く親しい場所に変化しました。

震災の年、41回生の義弟たちが同学会の委員長クラスであったことや、SNSでリアルタイムで除染などの活動を見て、重労働をしながら自炊するみんなの代わりに、農場のお台所経験者としてお食事作りならお手伝いできるかもしれない、と思い、名乗りを上げてみました。当時は毎月40人前後の支援参加者があったため、女子部卒業生や関係者3〜5名ほどでお料理をしていました。

その後2〜3回お料理で参加した頃、ずっとお台所にこもっているより、一緒に外で汗を流して働きたい衝動に駆られて労働デビュー。夏休み当番などで味わった「汗して働く喜び」が蘇って、心身ともに女子部時代の自分を上書きするような気持ちになりました。

暗く苦しかった女子部時代の記憶が、娘たちの父母として学園で過ごすうちに雲が晴れるように清々しいものになっていったように、農場で過ごすことが、わたしの新しい喜びになりました。昨年春に下の娘も無事に学部を卒業して学園父母生活から解放されたため、今年度は都合が付く限り参加して、とうとうツナギと牛舎デビューも果たしました。

まだまだ役に立つほどの力は発揮できていませんが、在学中には出会ってもいなかった、10年以上も下の同学会メンバーや、農場長の前田さんをはじめ職員の皆さんと親しく一緒に身体を動かせるのはとても楽しく、月に一度の那須通いは当分続きそうです。今回は幼方さんのお別れ会という大切なサプライズイベントもあり、参加者はもちろん、参加できなかった方たちの思いも籠もった温かい夜を過ごしました。

ホットスポットで学生たちが来られなくなってしまったことから始まった農場の労働支援でしたが、桜並木を夢見て桜を植えたり、苦労してチューリップ花壇を作ったり(2シーズンで消えてしまいましたが)、炎天下で食堂の壁の修繕をしたり、限りなく生えてくる草取りや芝刈りを黙々としたこと、そして、田植えに稲刈り、お餅つきと、一つひとつが、幸せな記憶として自分の中に積み重なっています。

普段の暮らしでは味わえない肉体労働と、その後の温泉と大勢で囲む和気藹々としたお食事。学生時代に運動部の合宿などの経験がないわたしにとって、たぶん今のこの那須での労働が、学生の運動部の合宿のような、青春そのものの体験になっているように思います。

これを読んでくださった皆さま。是非一度、労働支援に参加してみてください。体力気力に応じた働きの場が必ずあります。たぶん昔の那須農場とは少し違う空気感に癒されると思います。ご家族やお友だちも巻き込んで、笑顔溢れる農場にしていきましょう。

 

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なぜ那須農場にはまるのか?

同学会委員長 男子部46回生 中村 英俊

私が学生以来、再び那須農場を訪れたのは、震災の翌年の2012年。同級生に誘われての参加でした。
最初はその同級生の車で通っていたものの、同級生が行けない時に上級生の運転するマイクロバスに便乗したのが、ある意味運命の出会いだったような気がします。

初めてマイクロバスに乗った印象は、乗り心地が悪い、面白くないといったもので、出来れば乗用車で通いたいというのが正直な感想でした。しかしその翌年、免許保持者2名のうちの1人が関西に転勤になるとのことで、免許を取得せよ!とのお達しにより、四半世紀ぶりに教習所へ通いました。そこで想い出したのが、子供の頃に描いた”トラックかバスの運転手になりたい”という夢でした。

私が免許を取得した翌月から、免許保持者の2名の先輩が気を遣ってくれたのかパタッと来なくなり、以来数年間、ほぼ毎月運転をすることとなりましたが、今では非日常を楽しめる貴重な機会となっています。
また子供の頃に好きだったのが土いじり。那須農場の労働は、牛のお世話という印象があろうかと思いますが、それ以外にも餌を作る、小屋などの施設の修理や新設、草刈りなどの環境美化などありとあらゆる仕事があります。

その中で私がはまったのが、小型車両系建設機械の資格を持っていたこともあり、油圧ショベルの運転でした。那須農場で一番繊細な仕事は、この油圧ショベルでの牛の肥汲み。少しでも気を抜き、操作が雑になると自分のところに見返りならぬ跳ね返りがあるため、緊張の中での作業ですが、機械操作の上達には一番近道でもあります。

機械が空いている時間帯での作業になるため、毎月朝5:00からの作業になりますが、相棒(ホイールローダー)の仕事含めて、毎月希望者を募っていますので、運転の希望者はぜひお越し下さい!

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そして何より楽しいのが“人”でしょうか。那須農場での労働を通じて20年や30年振りに会う方々や、在学中にはお目にかかったことのない大先輩と、共に汗を流し、酒を酌み交わす時の楽しさはそこらの飲み会とは訳が違います。初めて会う人でも、世代が違ったとしても永年の友人のように会話が出来るというのは、自由学園ならではのことかも知れません。

また1年生と6年生の関係にも面白いものがあります。30年も経てば私のように、6年生より遙に年上に見える者もいれば、大きくなった人、小さくなった人、変わって欲しかったけど全く変わってなかった人、学生当時の話しをされて反省する人などマチマチです。そして30年経っても1年と6年の関係が半分は、維持されているのは懐かしくもあり、非常に心地よいものです。

そして残りの半分は、成長した後の社会人として対等に接することも出来ることの楽しさでしょうか。加えて、1年生が休んでいる間に、当時の6年生が食当に精を出すことも多々あり、逆転現象まで起こります。
また50歳を超えた、会社では“お偉いさん”の先輩が、まるで普通科の頃に話していたようなレベルの会話で真剣に言い争う姿をみると、皆当時の感覚に戻ってしまうのかな? ということが実感できます。しかし、ほぼ毎月会っているこの2人については、成長しないのかな? と不安になることもしばしば…。

私にとってこの心地よい関係は、日頃の仕事などのストレスをリフレッシュさせ、新たな原動力となっていることは間違いありません。仕事が忙しいと、あー那須農に行きたい、あーバスを運転したいと思うことが多々あります。なぜ那須農場にはまるのか? の答えは、“童心に返れるから”でしょうか。

那須農場での労働は、年齢や体力などに応じ、様々な仕事があります。重労働を希望する者もいれば、食事当番メインの方など様々です。通常の労働以外に、田植えや稲刈り、新米祭り、餅つき大会など2月以外の毎月実施しておりますので、ぜひお気軽に参加頂ければ幸いです。

 

那須の労働を終えて

男子部42回生 学部キャリア支援室 小堺 康弘

最近、那須がなにやら騒がしい。いったい何が起きてるのだろう?
って、ほど大げさでは無いのですが、同学会のみならず、学生が有機米づくりで通い、父母もOBや学生と交流してるらしい。そんなウワサを聞きつけて、どうにか行ける機会をと探ってきました。

私は学部のキャリア支援室を預かっていて、その枠の中でやっていても何ら問題はない気もするけれど、オフサイト(日常を離れた空間)で肩の荷をおろして人と交わる魅力は避け難く。那須の様な場所で学生の将来の夢とかをじっくりと聞いてあげる機会があればいいなぁ〜と、まずは、どんな雰囲気で何をしてるのか見てみようと、思い切って参加してみました。ま、それは後付けで、久しぶりに労働の中に身を委ねたかったのかもしれません(笑)。

この様な機会に恵まれた事、また、不慣れなわたしを暖かく迎えてくださった同学会の復興支援メンバー、農場のスタッフのみなさま本当に感謝申し上げます。
今回、わたし自身にとって、那須に行って特によかったなぁと思えるのは、牛の世話をたくさんできた事だと思います。

これまでの那須農場での労働というと、高1のときは畑予定地の石出し、牧草をブロック状にしてサイロに収納する作業。5年前に行った時は、道の脇の草刈りなどと、牛たちを垣間見ることはあっても、なかなか直接世話をすることはありませんでした。

今回は朝5時から、牛舎の掃除と餌やりとその後の放牧作業。朝食後は牛舎の掃除と餌の配置、牛舎周りの掃除、出産近い牛を然るべき場所に移す牛追いをしたり、放牧された牛を牛舎に戻したりと、多くのタイミングで身近に牛と接することができました。とても緊張もし、牛の突然の放尿にも圧倒されつつ、一方で牛がもくもくと餌を食べる姿に癒される思いでした。

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さすがに搾乳は農場のメンバーの担当。わたしは遠巻きに眺めるのみでしたが、イマドキの搾乳はパイプが牛舎内に張り巡らされていて、いちいち採った牛乳を貯めるタンクを持ちはこばなくてもいいシステムになってるんですね。効率的かつ衛生的なシステムに感心いたしました。

とはいえ、朝一番の牛舎は牛君たちの朝のお勤めのあとなので、糞だらけ。それらを綺麗にすることからはじまります。最初はこれをやるのかぁ〜と一瞬思いましたが、ビビっている暇などはなく、すぐに道具をとって見よう見まねで掃除を開始しました。

よく見ると、作業ラインも餌を与える作業の動線と糞を始末したりする作業の動線が明確に分けられていて、我々が動くことでおきてしまう雑菌の感染といった衛生面でのリスクを取り除く配慮もされていたりと、学ぶべきところはたくさんありました。きっと、当たり前なのでしょうが、まずは、そういうところからのスタートでした。

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それでも放牧地で牛を一頭だけ移動させるために追いかけっこしたりして、春の晴れた放牧地での作業は開放的で清々しかったです。他にも食堂前にある農場の全体を紹介する地図看板周りに芝生を敷く作業や、使わなくなった牛乳タンクを廃材利用するためのペンキ塗りをしたりと、普段体験できないことをたくさん体験できました。

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そして、何よりも働いた後のビールと料理の美味しいこと!この上もありません。外で働いているメンバーのために大勢の食事を、腕によりをかけて作っていただいた食事作りメンバーの実力も侮れません。本当に感謝申し上げます。

今回は、長らく那須農場を教育農場として発展することに尽力された幼方先生の退職を祝う会もあり、ほとんど初対面ながら、わたしもその送る会の末席にてお祝いさせていただく機会もいただきました。震災復興でよく歌われた「花は咲く」を全員で合唱し、先生への感謝の気持ちを伝えました。

この農場で子供達が様々な農業体験を得ることで幼い子供達の感性を育てる教育を目指された先生。その前に震災という思いもしない自然の猛威が立ちはだかり、子供達が来られない農場となりました。そのときの先生のご心中、一体誰が推し量ることができるでしょうか?

♫花は、花は、花は咲く〜、いつか生まれる君に~
花は、花は、花は咲く〜、わたしは何を残しただろう〜♫

この歌を同学会メンバーやその子供達らと歌いながら、ふと、未だ目には見えないけれども、いつか芽吹くであろう新たな希望の芽がそこここにホッコリと膨らみ始めている。「うぶさん、安心してください!ここにもあそこにも、もうすぐに芽が芽吹き始めますよ!」そんな気配を感じる事ができる、心の通ったあたたかくて慈愛に満ちたひと時を味わう事ができました。

今回、こっそり置いて来たマイ長靴。今年はぜひ何度か通うぞ!と思いを新たにし、農場を後にいたしました。みなさま、不慣れなわたしにも優しく指導していただき本当にありがとうございました。これからもどうぞよろしくお願いします。

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2016年度の最後の支援が終わりました。今年度は全13回延べ257人(同学会133名、卒業生会40名、その他卒業生家族・在校生父母・一般84名)の方に参加して頂けました。
みなさん農場の雰囲気、農場員の人柄に惹かれ、今年度新たに常連になられた方もいらっしゃいます。また、父母会をきっかけに参加をされた在校生父母もいらっしゃいました。

私は元々高等科時代からアルバイト?で通うほど那須農場が好きでしたが、卒業後は足が遠ざかっておりました。
震災後先輩に誘われるまま、中村委員長と一緒に復興支援に参加するようになり、昔の作業を思い出しながら益々那須にハマってしまっております。

これからも那須はどんどん成長していくことでしょう! 支援に参加しているお子さんは本当に楽しそうに牛の世話をしております。
近いうち、なるべく早く子供たちが戻れるよう新年度も那須に通うつもりです。一年間ありがとうございました。

同学会那須農場復興支援室長
男子部46回生 濱田 宏太郎

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