開会の言葉(2019.2.23第3回委員会追記)
昨年末に、ある卒業生から「聖書を読む会通信」という冊子のコピーが送られてきた。自由学園でも度々礼拝をしてくださる廣瀬薫牧師が書かれたもの。神の国に生きた信仰者として、アメリカのマーティン・ルーサー・キング牧師、日本の社会運動家でもあった賀川豊彦牧師と並んで、羽仁もと子先生が紹介されていた。その中で廣瀬先生は≪「良いことは分かっていてもできない」のが私たち罪人の宿命のように思っているかもしれないが、「よいことは必ずできる」という羽仁もと子先生の標語は、どんなに罪や弱さや失敗で回り道をしても、必ず「完成」に至らせてくださる神さまへの信頼に溢れている≫と書かれている。また、「思想しつつ生活しつつ祈りつつ」という言葉について、【思想】はキリスト教世界観に立って神の国を建てること、【生活】は信じたところに従って実践すること、【祈り】は「信じたところに従って実践する生活」を可能にするエネルギーの供給源、と解説されている。これを読み、何となくわかっていたような、けれども私は表面的にしか捉えていなかった、自由学園で使われていたこれらの言葉の意味が、はっきりと見えた気がした。自由学園での生活は、信仰に裏打ちされていることを、改めて思った。
再来年に創立100周年を迎える自由学園は、次の100年を見据えて歩んでいる。卒業生組織も、自由学園で学んだ者の集まりとして、どうあるべきかが検討されている。自由学園での学びの中で、揺らぎないものが次の世代に継承されることを願い、学んだ時代は異なっても、信頼に溢れる卒業生会、卒業生組織でありたい。現実を見ると、若い世代の状況に、もっと思いを至らせる必要を感じている。特に、77回生以降は学部共修となって学部2年課程、4年課程ができ、80回生から90回生までは、高等科修了生が任意で会員に、91回生以降は高等科修了時に全員が卒業生会会員になっており、同じクラスでありながら、高等科修了、学部2年課程卒業、学部4年課程卒業と、卒業年次が異なる、さまざまな立場の人がいる。違いによる苦労もあると思うが、強みでもある。また、この世代は女性も社会で働くことが求められるようになり、卒業生訪問スピーチでも、各々の道を力強く生きている様子を察することができる。これからの卒業生会は、各世代の様々な経験や思いが活かされる場でなくてはならない。委員会や委員の活動も、それができる方向への変化が必要。この課題を来年度に、また統合後の構想に引き継いでいきたい。
この一年、委員長としては力不足で拙いことばかりだったが、多くの方々との出会いと関わり、信頼の中で、自由学園へぐっと引き戻され、たくさんの経験と喜びがあった。卒業生大会での年長の方々のお姿や、各委員や同級生の力強い支え、各地の集いでうかがった自由学園や卒業生会への思い、本当に貴重な経験をさせていただいた。今日、歌った讃美歌は、ふと、ミセス羽仁の姿と重なるような気がする。神さまを信頼して「よいことは必ずできる」と前を向いて歩くことは、いつからでもできる。私たち卒業生は、それぞれの生活の場は異なるが、いつでも、どこでも自由学園の学びは続いていくと知った一年だった。感謝をもって終わる。ありがとうございました。(委員長 64 秋田)