開会の言葉(2019.5.25 第1回委員会追記)
■讃美歌 301番(1.2.4)
■ヨハネによる福音書 15章より
1節「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。」
4節「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。」
雑司ヶ谷短信:「学園と卒業生」
今年度委員の皆様とここに集えたことを感謝いたします。自由学園は2年後に100周年を迎えます。その大切な時期に委員の任をいただき、身の引き締まる思いでいます。委員長2人で今年度のことを考えた時、浮かんできたのが今読んだ聖句でした。
私たち卒業生は皆、学園という木に連なっている枝であり、その幹から枝となって大きく広がっているように思います。普段私たちは、異なる環境や状況の中で過ごしていますが、学園というどっしりとした木があるからこそ(私のイメージは初等部のブランコ近くの大きなケヤキ)、卒業生として生かされ、それぞれの場で実を結ぶことができているのではないかと思いました。
雑司ヶ谷短信の「学園と卒業生」の中に、『学園教育の成果は卒業生を見ればわかる。どんな所にいても、どんなことに会っても到るところに学園教育の余香をまきちらすものでありたいとは、われわれの朝な夕なの祈りの一つである。』とあります。
ミスター羽仁の祈りにもあるように、それぞれの場所で学園の香りをまき散らせながら、また、学園という幹に連なる者として心を尽くしていきたい。そのように思っております。そして、それが今後の100年に繋がっていきますように。と、願っております。
(委員長 65 小林)