3/21追記:100年史「卒業生会を振り返る」-2-

卒業生大会についてお話いたします。

大会は、いつから始まったのでしょう。

1954年の会報に10月9日に久々に卒業生会が開かれた、とあります。「久々」とあるので、この年以前にもあったのだとは推測されますが、残念ながらその記事は見つかりませんでした。この1954年からは毎年行われています。

会報第3号に、羽仁両先生とお目にかかる時をつくりたい、一年に一度お互いの消息を通じ合い、志を高め合う機会がほしい、と願って、ミセス羽仁の満81歳のお誕生日を卒業生一同でお祝いしたいという思いと重ねてこの会が開かれました。この時327名が集まりました。紙面下の方にミセス羽仁のお話があります。その中から一部ご紹介します。

「学校というところは、家庭をよくするためにあるのです、社会をよくするためにあるのです。よい学校で本当によいことを学べば、私たち各々の家庭も、共同で持ち合っている社会もよくなるのです。この3つは別々でなく、同じものです。この頃になってなお、そのことを深く思うのです。よい学校は、よい家庭を、よい社会をつくるようでありたいと強く思うようになっています。」と、あります。

送り出された卒業生に対しての気持ちが込められています。この時の出席者327名全員のお名前がクラス別にそれも到着順でこの会報に載っています。

羽仁両先生が揃って出席されたのは、次の1955年女子部体操館での会が最後だったようです。お茶の会は女子部食堂でクラス別のテーブルで頂いたと記されています。 自由学園40周年と50周年は、記念の年ということで男子部卒業生と一緒に集まりました。10月8日に730人が南沢の女子部講堂に集まりました。講堂、いっぱいの人です。出席者730人のうち640人が女子部の卒業生です。1回生から順に立って紹介され、そして会報には1回生から39回生の出席者全員のお名前が4段以上にわたって小さく記されています。地方から来られた方のなかには、清風寮に泊まった方もいらしたようです。

この毎年開かれるようになった1954年を第1回として数えてみると、2019年まで実に66回が行われたことになります。昨年はコロナ禍のため、初めて中止となりました。

卒業生会会報に節目のクラスからの報告が掲載されています。毎回行われているこの「節目のクラスの報告」というのは、いつから始まったのでしょう。調べてみると1977年が最初でそれから30年以上続いたことになります。それまでは、各クラスから近況を話したり、その年に報告したいクラスから話があったりしていたようです。

他にも卒業生会に関して記録として残しておきたいことはたくさんあります。また、何かの機会にお知らせすることが出来たらと思います。(100年史編纂協力委員 56回生・芥川)

Mrshani02

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