【委員長】市岡揚一郎前理事長記念礼拝

【委員長報告】市岡揚一郎前理事長記念礼拝

昨年8月29日に逝去された第8代学校法人自由学園理事長・市岡揚一郎さん(D16)の記念礼拝が、自由学園明日館講堂で6月18日に開かれました。

美しく凛とした花の飾られた演台、右手にはミセス羽仁ミスタ羽仁のお写真、左手にやわらかい表情の市岡さんのお写真があり、あたたかな空気の中、ピアノの前奏で礼拝が始まりました。司式は矢野恭弘前学園長(D26)。市岡さんは1937年10月30日に中国上海でお生まれになり、終戦後は兵庫に住まわれ、熱心な友の会員であったお母様のもと、普通科から学園に進まれました。

最高学部卒業後は日本経済新聞社に入社され、ロンドン特派員、ワシントン支局長、論説主幹、取締役を歴任して退職。水木楊のペンネームで多くの著作を残されました。矢野前学園長は、市岡さんに理事長をお引き受けいただきたいとご自宅に足を運び、2009年4月から理事長学園長として共に過ごされた日々を振り返りながら礼拝をされ、ヘブライ人への手紙第11章13節〜16節をひいて、いつか天の故郷で再会するまでのしばしのお別れを述べられました。

その後、スピーチをされた6人の方のお話からは、市岡さんがジャーナリストとして出色の存在であったこと、そのお仕事ぶり、また作家としての洞察の深さが伝えられました。それだけのお仕事をされながら、理事長の8年間は筆を取らず、ただひたすらに学園のために働かれ、社会にどのように働きかけるか、次々に考えて実行されたことがよくわかりました。

就学前の子どもへの働きかけ、45歳以上のためのリビングアカデミー、自由学園みらい館の建設。そして地域に開かれた学校を目指して改築されたしののめ茶寮など、私たちが今当たり前に接している多くのことにご尽力されたのが市岡さんでした。その働きの根底には、ミスタ羽仁が急逝された時に男子部委員長でいらした経験が深く根付き、理事長を天命と思っておられたとのことでした。

息子さんに最後におっしゃったのは、「やりたいことはやりきった。やるべきこともやりきった。あとは頼む」だったそうです。その言葉に込められた、いつも真摯に生きてこられたご生涯に触れ、尊敬の念を深める時間となりました。

村山順吉理事長(D32)の演奏によるショパンのノクターンが講堂に響き、皆さまと市岡前理事長を偲ぶ場に列席させていただけたことに感謝しております。

市岡さんは生前、水木 楊の名でブログを書いておられました。
https://ameblo.jp/mizu-yo/
ぜひ皆さま、ご著書と共にお読みください。

南沢会委員長

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