2024年度12月那須農場支援活動

12月の支援活動は、お餅つきが一大イベント。35人の予定でしたが、インフルエンザなどで来られない人が出て、小中高校生も含めて30人の参加となりました。

1日目は12時すぎに集合して、日の落ちるまで(冬至でした)作業を行いました。2日目は、朝5時から牛舎作業などをして、8時からはお餅つきをしました。

活動内容

<つる切り>

桜並木の桜60本に夏の間にとりついた、つるをとる作業です。枝に絡みついたままだと、木を傷めてしまいます。この桜は東日本大震災後、放射線量が高くなって学園生が農場に行けなくなった時期に、同学会の方たちがこつこつ除染を進めながら、少しずつ植えたもの。毎春、美しい花を咲かせます。

<牛追い>

牛が牛舎と放牧地を行き来する際、人があちこち、とおせんぼ。気まぐれな牛さんたちを導きました。

<枝打ち・重機メンテナンス

ベテランの方々はチェーンソーを使って農道に干渉する高木の枝打ちや農繁期に使用した重機のメンテナンス(素人とは思えません)。縁の下の力持ちとして、黙々と作業をされていました。

<牛舎の冬支度

小学生も一緒に、防寒用のシートをかける作業などをしました。2日目、学園の高等部生4人は牛舎の床の藁や糞などを掃除する「ボロ出し」も行いました。

<お食事

リーダーの高張郁子さん指導のもと、夕食は人参のリボンがポイントのリースポテトサラダ、蕪と玉ねぎのポタージュ、お野菜たっぷりのグリルチキン、フライドポテト。

12月は農場の山口曜さん、参加者の中学3年生2人(高校合格おめでとう!)がお誕生日を迎え、ケーキでお祝いしました。

朝食は、夕食からの展開でスペイン風オムレツ、味噌スープ、蕪の葉とツナの炒め煮、ポテトとレタスのサラダを。

<お餅つき>

30kgの餅米を土曜日から浸水、日曜日朝から蒸して、力自慢の人もそうでない人も順について9回分。那須友の会会員の方々のお子さんも参加しました。

八月朔日(ほづみ)さんの育てられた餅米のお餅は、ふんわりやわらかくていいお味です。学園でも長く八月朔日さんのお米を購入していたそうです。ご高齢のため田圃を縮小されるとのことで、南沢会の稲のお世話をしてくださるのも今年度までとなり、御礼をお伝えしてきました。

丸餅を作った後は、信鶴堂(近くの美味しい菓子屋さん)のあんこ、大根おろし、納豆、きな粉、海苔、チーズも用意して、雪の舞うなか、食堂前で昼食につき立てのお餅を。

高張さんの鶏肉、水菜、長葱、油揚げのお雑煮。体が温まる! 白菜の浅漬けも好評でした。

差し入れ>

J59回生の三島さんから日本酒、ほかにも焼酎、野菜ジュース、トマトジュースを頂きました。ありがとうございました。子どもたちの参加者も多く、どれも美味しく頂きました。(手違いで、差し入れをくださった方のお名前を掲載できません。誠に申し訳ありません。)

今月の寒太

ヤギの寒太(カンタ)は玉ねぎ以外は食べさせていいのですが、水菜の株元や白菜の芯は匂いを嗅ぐだけで知らんぷり。柔らかい蕪の葉は美味しそうに食べるなど、お好みがあるようです。中等部1年生の2人が楽しそうに餌やりしていました。

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那須は、寒い! しかし、食堂はストーブでポカポカ、宿舎もヒーターをつけて休むので、温かく快適です。『雑司ヶ谷短信』に、昭和12年の一冬を男子部がストーブなしで過ごしたと、ミスタ羽仁が書いておられることを思い出しました。さすがに那須ではつけていたと思いますが、当時の那須はどんなに寒かったことでしょうか。

10月に続いて2回目の参加。姿が見えないなと思ったら杵と臼を洗ってくれていた小学生とお母さん、お食事前、いつもさっと台所に入って洗い物をしてくださる男子部卒業生など、人が見ていても見ていなくても、黙々と働く人たちの姿に、学園らしさを感じる年末でした。

(J73 堀・記)

12月度行程表

12月20日(土)

時間内容
8:00学園出発
12:30マイクロバス那須農場到着
13:00・桜並木のつる蔓切り
・牛追い
・牛舎作業
19:00夕食
22:00就寝

12月21日(日)

時間内容
5:00・牛舎作業
7:00朝食
8:30・餅つき
・牛舎作業
・桜にとりついた蔓切り
・宿舎掃除
12:00昼食
14:00マイクロバス出発
18:00自由学園到着、解散

今年度の那須農場の支援活動も残すところあと2回となりました。

どの月も、南沢会本部委員の同級生メンバーも参加し、農場担当の私と須藤くんのフォローをかわるがわるかって出てくれます。今回で3回目の参加となった男子副委員長のD53秋山くんから、一年を通して参加してきた感想を寄稿してもらいました。

(D53 塚本・記)


南沢会に本部委員として関わるようになってから、聖書の「マルタとマリア」の話がずっと心のなかにあります(ルカによる福音書10章38節以下)。――マルタがイエス一行を家に迎え入れ、もてなしに忙しく働くあいだ、姉妹のマリアはイエスの足元に座って話に聴き入っている。手伝うよう言ってほしいとマルタが訴えると、イエスはこう答える。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(新共同訳)

いろいろな受け止め方のある話ですが、そうは言ってもこの世に生きていく以上「マルタ」であることからは逃れられない、というのがわれわれ俗人の素朴な実感ではないでしょうか。ならば、マルタでありつつ「良い方」へ近づくにはどうすればよいのか? 南沢会の委員という役割も、マルタの典型といえるでしょう。会の運営をめぐって「多くのことに思い悩み、心を乱している」けれど、「ただ一つ」の「必要なこと」とは何か? 「良い方」とは? 正直もうよくわかりません。ただスケジュールの怒濤にさらわれるばかりです。

そんなとき、那須農場支援に働く人たちと出会いました。きっと同じくマルタのように「多くのことに思い悩み、心を乱し」ながらも、継続的に農場に関与してきた人たちです。農場は原発事故で大きな被害があり、学園の教育の場として使えない状態がつづきました。イエスは、マリアの「良い方」を「取り上げてはならない」といいましたが、農場は、無残にも学園の生徒・学生から取り上げられてしまったのです。それをまた取り戻すべく何年も支援に尽力してきた人たちと、私は一緒に働きました。

働きながら、なぜ南沢会の本部委員を引き受けたかをあらためて考えました。それは「みずからのなかの自由学園を取り戻す」ためでした。長い社会人生活から見えてきたのは、望むと望まざるとにかかわらず、学園は自分のアイデンティティの一部となりもはや不可分だということです。南沢会員ならみな同じでしょう。どうせ不可分なら、それを再発見することで本当に自分のものとして取り戻す。南沢会とはそういう取り戻しの場だとおもい引き受けたのです。那須農場と自由学園とは不可分だと信じて取り戻そうとする人たちと活動を共にして、そのおもいをあらたにしました。

さて、私が農場のマルタとして駆けずり回れたかというとおおいに疑問です。というのも、ふだん家で坐りっぱなしのため体は弱り、おまけに性格も、ぼんやり夢見るマリア型で、ちゃきちゃきのマルタ型ではないからです。しかしそれはたいしたことではないとあえて言っておきましょう。農場の支援活動に参加する人の数は多くありません。そのなかに南沢会を運営する人たちがいる。共にある。共に取り戻す。会としてこれからも関与し、そのプレゼンスを示す。これが会にとって「良い方」へ向かう道のひとつであるように感じております。(個人の見解です)

(D53 秋山・記)

企画・会員連携室  D53  塚本・須藤  J73  渡邊

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